30年前の幼稚園の嫌だった記憶がいまだに残っている話
今、わが家の娘は3歳半。
フリーランスの私は、仕事の都合上、娘が生まれて3ヶ月で仕事復帰したので、うちの娘は生後3か月から保育園に通っている。
そのせいもあってか、彼女は保育園にとても馴染み、たまには行きたくない日もあるようだけど、毎日楽しく通っている。
特に、通園している保育園が1クラス8人程度で保育しているため、アットホームなのも彼女の性格に合っているようだ。
そんな娘とは反対に、私は幼稚園が楽しくない場所として育ったので、自分の娘が保育園に馴染めるか、本当に不安だった。その点でいえば、保育園選びは成功したようでちょっと安心している。
私は幼稚園に年中(5歳の学年)から通いだしたのだけど、まあつまらなかった。楽しい記憶はほとんどないといっても良い。幼稚園だったので、大人数の保育だったのも原因かもしれない。
とても記憶に残っているのは、入園日1日目。
年中入園だったので、完全に転校生な感じで入園してきた4歳の私。
先生は特に指示も与えず、「さあ遊んでいいよー」と私をクラスに放した。ただそれだけ。
友達もいない私は、何をしていいのか分からず、ひたすら先生の後を追っていた記憶がある。何か先生が助けてくれるかもしれないと思って。
でも先生は一切、助けることはしなかった。
もしかしたら、そうゆう教育方針だったのかもしれない。
でも30年経って大人になって、子を持つ親になっても、やはり当時の先生の対応には納得できない。
初めての園生活に馴染めるよう、友達の輪に入れてあげたり、紹介してあげたり、最初はサポートをするべきではないだろうか。
結局、友達作りのサポートをしてくれたのは、私の母。
ママ友活動を介して、私の友達作りをサポートしてくれた。
そんな経験から、私はほとんど幼稚園が嫌いになった。
もう一つの記憶は、色水事件。
当時、幼稚園では水を入れたフィルムケースに、水性ペンを浸して色水を作るのが流行っていた。
私もとても大好きで、友達とよく遊んでいたが、先生に見つかると怒られた。
「ペンを色水に使ってはいけない」という理由で。
だけど、自分のペンをどうやって遊ぼうが勝手だろうと当時の私は反発を覚えた。
そして、30年経った今も、いまだに納得できない。
「ペンは色水に使ってはいけない」というルールは重々分かってる。
でもこの遊びって、色彩感覚を養うためのとても良い遊びだったと思うんだ。
赤と青を混ぜたら、紫になって、混ぜる量を変えると、違う紫になる!って色へのひらめきが得られるから。
それが流行っていたんだから、みんなが色に興味を持つきっかけになる時期だったんだと思う。
ペンで色水を作ってはいけないのなら、代替法を与えてあげるのが、教育者のやることだったと思う。
ただ「いけない」ルールを教えるだけが教育じゃない。
4歳って、もっと大人だよ。
少なくとも、今の私だったら、色水用のペンを用意すると思う。
それが、幼児期の教育だと思うし、そうあるべきだと、30年後の大人の私もやっぱり強く思うのです。
こんな話を書こうと思ったのは、昨日、ふと夫にこの思い出話をしたら、色水用のペンの話も含めて、いつもの私の娘への接しかたを褒められたから。
4歳の私に伝えてあげたい。やっぱり間違ってなかったよって。そして、大人になったらそれを認めてくれる人と出会えるよと。
がんばった4歳の私。がんばれ35歳の私。